「核戦争を防いだ男」と呼ばれる人がいたということ。(1/2)

私は知らなかったことがまたありました。

私が生まれる前のこと、米ソ冷戦時代にあったの核戦争の危機の一つ。それを防いだ方が亡くなったという報道がありました。

 

https://www.jiji.com/sp/article?k=2017091900681&g=int

 

核戦争の一歩手前までいった出来事としては、ソ連キューバに核ミサイルを配備しようとして発生した「キューバ危機」は知っていました。しかしそれ以外には核戦争になっていてもおかしくない事態があったことを、私は知りませんでした。

 

それは1983年9月26日、スタニスラフ・ペトロフというソ連軍人が核ミサイルを監視している任務に就いているとき起きたそうです。

 

その出来事が起こる前の世界情勢は、3週間前にソ連空軍機によって大韓航空の旅客機を撃墜する事件が発生しており、米国からの攻撃からを警戒する態勢が強化されていました。

 

1983年9月26日、ペトロフソ連人工衛星が米国から発射されたミサイルを探知したという情報がもたらされました。

 

当時、米ソは「相互確証破壊」という戦略を取っていました。簡単にいうと『核ミサイルを打ったら、核ミサイルを打ち返す』。この戦略のもと、ソ連もアメリカも核ミサイルが発射されたことがわかれば、報復として相手に核ミサイルを発射するという仕組みが取られていたのだ。ペトロフは米国からソ連に核攻撃が確認されたら、その事実を報告することが任務に含まれていたのです。

 

そしてペトロフのもとに米国が核ミサイルを発射したという情報を人工衛星から送られてきた。

 

この情報は、米国が核戦争の火蓋が切って落としたものであると思われた。

 

 

続く