「核戦争を防いだ男」と呼ばれる人がいたということ。(2/2)

前回の続きになります。

 

スタニスラフ・ペトロフという元ソ連軍人それを防いだ方が亡くなったという報道があり、ペトロフが任務就いていた1983年9月26日、米国から核ミサイルを発射されたという情報が人工衛星から送られてきました。

 

ペトロフは米国からの核攻撃があれば、それを上司に報告するという任務が含まれていました。

 

しかし彼は任務を遂行しませんでした。そう、米国からの核ミサイルが発射されたという情報を上司に報告しなかったのです。ペトロフが報告しなかったのは、当時の人工衛星から情報の精度が低いことを彼が承知していたからでした。そして事実、米国は核ミサイルを発射しておらず、人工衛星が誤った情報を発信していたのです。

 

もしペトロフが報告していたら、最悪の場合ではソ連が報復措置として核攻撃を米国にしていたかもしれません。そうすれば今まで人類が経験したことのない核戦争が勃発していたかもしれないのです。

 

ペトロフが核ミサイル発射の報告していたら、起きていたかもしれない核戦争。それを防いだ男として、スタニスラフ・ペトロフは「核戦争を防いだ男」となったのです。

 

ただし、ペトロフの判断は一歩間違えば自国を核攻撃から守る機会を潰す判断にもなり兼ねず、危ういものであったことも覚えておく必要があるとは思います。とはいえ、彼の判断のおかげで核戦争の可能性を低減させた事実は、核兵器で汚染されていない地球に住むことができている私にとってはとても喜ばしい限りです。

 

ペトロフが報告しなかったことは世界にとっては歓迎すべきことでしたが、ソ連軍の規律を守らなかったことは厳然たる事実でした。彼はその後ソ連軍内で冷遇されましたが、冷戦終結とともに評価されるようになり、今年にお亡くなりになったのです。

 

世界からは賞賛される出来事であっても自国の規則や方針に背いたことで冷遇されるのはペトロフだけではありません。日本でもそのようなことがありました。それは第二次世界大戦期にバルト三国リトアニアの当時の首都、カウナスに駐在していた杉原千畝である。

 

杉原千畝は、ユダヤ人が亡命できるように「命のビザ」を発行して多くのユダヤ人を救ったことで有名ですが、ユダヤ人にビザを発行することは当時の外務省の方針には反しており、杉原の名誉はなかなか回復されなかったのです。

 

このように世界的に評価されることを行なった人物であっても、自国の方針などに反する行動を公務員や軍人が行えば、必ずしも評価されるわけではないことを改めて感じることができたペトロフの記事でした。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。